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2009年11月21日土曜日

UCLAのデモ

米UCバークリー校の学生、学費値上げ抗議で校舎占拠
http://sankei.jp.msn.com/world/america/091121/amr0911212000005-n1.htm
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本気で何かを訴えたいときは

正しい「知識」、冷静な「判断力」、そして迅速かつ慎重な「行動力」が

不可欠です。

こんなやり方をしていては何も伝わらない。

それどころか、相手の思い通りにことが進んでしまう。

今回の学費値上げ問題。

別に急に決まったことじゃない。理由も予兆もあった。

やつらは一般人の無知さをいいことに、こういった搾取を企てる。

大半の無知な大学生なんて格好の的なんだ。
高額な学費を払ってなにを学べるかと思いきや
スマートな言葉で包装しただけのただの「奴隷学」。
「奴隷予備軍」として立派に育成され、卒業後は社会で知らず知らずのうちに
やつらの悪事(金稼ぎ)に加担させられる。

彼らの暴挙に対抗するにはこちらが「元凶」を把握し、ことが起こる前に訴えること。

過去の日記で財政破綻、および教育機関の経費削減、
学費値上げの原因について触れてきました。
http://unchangeable-truth.blogspot.com/2009/09/blog-post_15.html
http://unchangeable-truth.blogspot.com/2009/09/1.html

立てこもって何になる?学校を困らせて何になる?

訴えるべき相手を間違えるな。

何のために大学行ってるんだい?

頭悪いことするんじゃない。

2009年10月27日火曜日

日韓併合の意味

■安重根:伊藤博文暗殺から100年、韓国で記念式典
http://article.wn.com/view/WNAT97982fa182f8a14b58e7d2ddb0e80cee/
(読売新聞 - 10月27日 00:17)

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ぴかぴか(新しい)伊藤博文を恨むのはお門違いぴかぴか(新しい)

まず韓国人の視点からすると、
伊藤博文は朝鮮侵略を先陣切って先導した者とされています。

韓国のみなさん、ちょっと待ってください
逆です。伊藤博文は日韓併合には反対していた人物です。

 伊藤博文日韓併合反対主張:

  ー日本の内政に力を注ぐべきで韓国まで抱え込むことは国政に響く。
  ー大陸に領土を持つことの危険性。
  ー今韓国を日本領土にすることは後々面倒なことになる。

一部ですが彼はこういったことを主張していて決して
血の気の多い侵略主義の軍人ではありませんでした。

しかし皮肉にも反対派であった伊藤博文が初代総監に任命されてた。
渋々と韓国に赴く伊藤の顔が思い浮かびます。

ぴかぴか(新しい)そもそも日韓併合は「侵略」だったのか?ぴかぴか(新しい)

当時の大韓帝国は国内外で多くの問題を抱えていました。
政府は腐敗堕落しきっており、ロシアの植民地になることは時間の問題でした。

以下のサイトの記事を参照してください。
皆さんの知らなかった歴史がそこにあるかもしれません。

日韓併合の真実
http://specific-asian-flash.web.infoseek.co.jp/heigou.html

韓国歴史教育、驚愕の捏造
http://photo.jijisama.org/TextBook01.html
http://photo.jijisama.org/IHall.html

親日派のための弁明
http://photo.jijisama.org/OldKorea.html

朝鮮人を飢餓と内乱から救った、大日本帝国
http://photo.jijisama.org/BeforeAfter.html

強制連行はなかった
http://specific-asian-flash.web.infoseek.co.jp/kyouseirenkouuso.html

見ろ!実は、日本兵は中国で礼儀正しく、皆から愛されていた。
http://photo.jijisama.org/china.html

大東亜戦争の真実(各国著名人の証言)
http://specific-asian-flash.web.infoseek.co.jp/daitouasensou.html

ほんの一部ですが、こういった歴史の裏の歴史があるのです。
探せばごまんと出てくるものなのに公にされていないのには
大きな力がそれをねじ伏せようとしているからに他ならない。

伊藤博文を暗殺した張本人の安重根(アンジュングン)も後に
このようなことを言っていますが、もちろんこれを知っている韓国人は少ないのです。

安重根
「日露の開戦は黄白両人の競争というべきものであって、
前日までの日本に対する仇敵の心情がたちまちに消え、
かえって、一大愛種党となるにいたった」

これは韓国は自立近代化を日本に学んだという証言でもあります。

日韓併合は「侵略」ではなく、
それまでの欧米列強の「搾取型植民地政策」から
東南アジアを救い、中国の属国であり、
ロシアの脅威にさらされていた朝鮮の独立支援をしたのです。

日本人である僕が言ったところ偏見と思われるかもしれませんが、
日本が当時行ったことというのはアジアにとってそれまで数百年続いた
白人恐怖統治から黄色人種を開放した意味あることだったのです。

僕の言葉だけじゃ信じられないという方は是非以下のリンクを参照してください。
世界には日本人以外でも日本の正統性を切に訴え続けてくれている人たちは
沢山いるのです。

大東亜戦争の真実(各国著名人の証言)
http://specific-asian-flash.web.infoseek.co.jp/daitouasensou.html

彼ら一人一人の言葉、一字一句漏らすことなく読んでもらいたい。
「そのとき」をまぶたの裏にたしかに焼き付けた者たちの真実の言葉は
とても力強く、現代の日本人よりも、戦争で散っていった日本兵たちを
心から賞賛してくれています。

僕は今の日本人が骨抜きになっていることが恥ずかしい。鳩山首相も恥ずかしい。
間違った戦争だったと自虐に浸ることをやめ、真実に目を向けるときである。
日本男子は今こそ先人の思いを継承し、胸をはり武士道を重んじて、
生きていくべきなのです。

「先人」とは白人の言われるがままに動き、
明治維新後高みの見物をしていた「薩長幡」などでは決してない。
日本を、アジアを救わんと身を挺して現地で戦った兵士一人一人のことである。

考え方を変えなければいけない。もっと自信を持たなくてはいけない。
そりゃ好き勝手に欧米人に日本女性を持っていかれますよ。
外見がすべてと思っている浅はかな欧米人にも、
そして日本女性にも、気づかせてあげればいいのです。
本当の魅力、そして強さとは内面にあるんだと。

ぴかぴか(新しい)「搾取型」ではなかった日本の植民地政策ぴかぴか(新しい)

第二次世界大戦後の統一は「金持ちが貧乏な人たちを救う」という形が基本です。
しかし戦前の欧米型の植民地政策は真逆で、金持ちが容赦なく貧乏を取り立てていました。

日本は戦前から資金を日本から持ち出し、満州や朝鮮の生活水準向上に尽くしてきました。

1910年の日韓併合以降、日本は朝鮮産業振興のために多額の支援を行いました。

 以下はその一部です。

  ・併合当時1万2000石(1石=180リットル)だった繭の生産量は
   約6年間で7万6000石まで増量。
  ・漁獲高は、734万円から1595万円まで2倍以上に伸びる。
  ・当初100校しかなかった小学校を6年間で400校以上にし、
   学生数は1万7000人から6万6000人に。
  ・水害や旱魃などの災害対策費も予算として計上し、災害が起きなかった場合でも
   そのまま積み立て制にし、有事には政府に救済を求めるまでもなかった。

併合前の朝鮮人の生活水準は上記のリンクの写真などを
見てもわかるように決して良くはなく、貧しく、教育も行き届いていなかった。
日本が支援することで、数年で改善したのです。

決して世間一般で言われているような、
「平和で豊かに暮らしている朝鮮人を、日本が搾取した」
わけではないということがわかって頂けたかと思います。

ぴかぴか(新しい)「創氏改名」は強制だったか?ぴかぴか(新しい)

日本の教科書にも「日本は朝鮮人に創氏改名を強制した」と記述されていますが、
当時朝鮮名のままでいた人も数多くいたのです。

例を挙げるのであれば
陸軍士官学校26期生の洪思翔(ホアン・サイク)陸軍中将は
朝鮮名のまま日本陸軍に在籍しています。
ホアン中将より1期後輩のキム・ソグオン大佐も改名はしていません。

これは軍が改名を強制していないという重要な証拠ではありませんか?

さらに韓国の李王朝最後の殿下である陸軍士官学校29期生イ・ウン殿下は
昭和天皇のお妃候補の1人でもあった梨本宮方子(なしもとのみやまさこ)妃殿と
結婚しています。彼らの結婚の際、日本政府は天皇家の次に予算をかけて処遇しました。

余談ですが、
1930年に二人のために建設された新居は現・赤坂プリンスホテル旧館にあたります。

日本が朝鮮の李王朝の根絶を企んでいたのであれば、
わざわざそこまで厚遇することはなかったでしょう。

当時朝鮮はまだ中国の属国的イメージがありました。
中国人は日本人だとわかった途端、敬意を表するという
あからさまな時代だったがゆえ、朝鮮人は自分たちも
日本名を名乗れば中国人に差別されないと考え改名をしました。
これが創氏改名の実態です。

改名には実際に役所に赴き届けを提出し、
許可が下りて初めて日本名を名乗ることができました。
役所の面倒な手続きを隔てているため、改名をしなかった
朝鮮人も多く存在していました。

政府内では朝鮮人と日本人の区別ができなくなると
改名に反対した人がたくさんいたことから、
強制ではなかったという事実の裏づけになっています。

ぴかぴか(新しい)従軍慰安婦など存在していないぴかぴか(新しい)

従軍慰安婦問題にも少し触れておきましょう。
創氏改名同様、軍は強制などしてはいません。
それどころかそもそも「従軍」なんていうのはでっち上げです。

当時の朝鮮の混沌とした情勢では
売春をして生計を立てようという女性が数多くました。

要するに現代の風俗と同じなのです。
自分の意思でその職に就き生活をしている。

「従軍慰安婦」というのは戦後に作られた言葉であり、
反日活動を優位に行うためにでっち上げられたプロパガンダです。

従軍慰安婦の嘘
http://specific-asian-flash.web.infoseek.co.jp/ianfuuso.html

もちろん戦時中、軍の一個人が過ちを犯し、
朝鮮人女性を強姦したり、売春を強要した可能性は否定しません。
それは許されざることです。

しかしその一個人と軍を都合よく結びつけたり、
上記のリンクにもあるような嘘のチラシを作成することも
嘘の証言をさせることも許されざる行為です。

現在日本側は従軍慰安婦など行われなかったという証拠を数多く提出しているが、
韓国側はあったと証明する歴史的・科学的証拠などの提出はしていない。

同じことが「竹島問題」「南京大虐殺(中国)」にも言えます。

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日韓併合から第二次世界大戦終戦に至るまでで、
朝鮮の人口は1300万人から2500万人と、約倍に増加しています。
同様に中国・満州の人口も日本統治の間で3000万人から5000万に人増えています。

残虐行為が行われているような場所に
はたして人は集まってこようなどと思うでしょうか?
朝鮮や満州での人口の増加はアジアを救いたいという
日本の意思と貢献がもたらしたものなのです。

「歴史」と「歴史学」の違い

<東アジアサミット>日豪が「共同体」構想を提案、米国参加の可能性も―タイ
http://www.excite.co.jp/News/china/20091026/Recordchina_20091026021.html
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久々の投稿です。

東アジアサミットが行われましたね。
もっとも注目すべき議題はやはり「東アジア共同体」ですが。
各国が本気でこれを実現させようとしているかと問うと疑問を感じざるを得ません。

所詮各々の国に帰還してしまえば↓こういった野蛮な式典が行われているからです。

■安重根:伊藤博文暗殺から100年、韓国で記念式典
http://article.wn.com/view/WNAT97982fa182f8a14b58e7d2ddb0e80cee/

いい加減韓国の過剰なまでの反日にはうんざりします。
彼らにとっては極悪人が死んだ記念すべき日なのでしょうがやりすぎでは?
どこにヒトラーやフセインの式典をやってる国がありますか。
自国の品性を疑われるようなことは普通やりたいとは思わないんですけどね。

良い意味でも悪い意味でも平和ボケしている日本と
常に周辺国の脅威にさらされている大陸国とでは
根本的な思想が違うのです。

日本が思い描くのは苦楽を共にする「共同体」。
しかし中国・韓国が目指すのはまー差し詰め「協同隊」ってとこでしょうか。

中国も韓国も別に「苦」まで分かち合おうなどとは考えていない。

まず歴史的な認識の合致なくして、
各国が相見えることは未来永劫ないでしょう。

歴史というのは大概戦争の勝者が作ったものである。
そして歴史の成否を問わず、歴史的証人がいなくなってしまえば
歴史は「物語」になり、どんどんリアリティーを失ってゆく。
リアリティーを無くした歴史は一人歩きし、「捏造」「隠蔽」「着色」され
さらに信憑性のないものになってゆく。

たとえ証人がいたとて、その言葉に嘘偽りがないかと証明することも難しい、
極めて不安定で曖昧なものである。

そうなると重要になってくるのは「証拠」「痕跡」「文献」であったりするが、
こちらも100%なのかというとそんなことはないのである。

単に、古いから、同年期だからという理由で
それに信憑性を見出してしまうことは危険極まりない。
何故ならそこにはそれを残した者たちの「意図」「主観」が入っているからだ。

悲しいかな、僕らには歴史などあるようでないのと同じである。
真実の歴史は「悪意ある先人たち」の「主観」や「策略」という
茨(いばら)入り乱れた茂みの奥深くに隠れてしまっている。

触れようとすれば棘が刺さり怪我をする。
過去、幾多にわたり真実に触れようと試みた者たちは
それに触れた瞬間、または触れる前に息絶えるのである。

もはや現代は真実を追究する「歴史学」はタブーとされ、
国民はフィクションじみた歴史という「物語」を鵜呑みにさせられる時代なのだ。

アジアの歴史も例外ではない。

これから数回にわたり第二次世界大戦前後のアジア間、
そしてアジアー欧米間の歴史についてお送りしていきたいと思います。

まずは伊藤博文が記事になっているということで、
戦前後の日韓の歴史についてメスを入れたいと思います・・・。

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つづき
日韓併合の意味

2009年5月2日土曜日

アメリカと日本の違い

以前”自分の長所、短所は?”という質問に対し両方とも、”深く考えるところ”と答えた。

それに対してアメリカで共に思春期を過ごした友人がこんなコメントを書いてくれた。

>あはは。「深く考えること」
>今の日本にそんな時間はあるのか・・・、
>人はみんな、深く考えることをあきらめてる気がするんだぁ。
>でも、僕は凄くわかるナ。やっぱり、今の日本に居ても深く考えるから。

たしかに日本アメリカとでは流れている時間が違うように感じる。
日本はみんな忙しない。何かに追われるように仕事をし、 勉強をし、
遊ぶことでさえも形にはまったやりかたでしかできていないと僕は思う。
たしかに何かを深く考える、という時間はないのかもしれない。

アメリカでは考える時間が無限大に感じる。
はっきり言ってアメリカは自由だ、いや暇なんだ、と思う。
日本のように24時間遊び場が空いていることはないし、
勉強であってもなんであっても本人がやりたければやるし、 やらなくたっていい。
まぁ、最近はのんびり過ぎる体制を 変えようとアメリカ人達も忙しくなってきている。
でもやっぱり自由だし暇だ。良い意味で。

時間があれば心にもゆとりが持てる。
こんな腐った国でさえその”時間”がある。

自分の事をもっと知れる。知ろうとする。
人のことをもっと知れる。知ろうとする。
大いに悩むことができる。
立ち止まることさえもたまにはいいと思える。
疑問をとことん追及して消化できる。
なんだって可能だ。

一度きりの人生なぁなぁで生きたくない。
楽しかったり悲しかったりを100%で感じたい。
感受性豊かな人間でありたい。

日本人は学問や技術において長けている。と思う。
これは戦後の努力の賜物だろう。

でも今はどうだろう?

みな同じような教育を受け、
同じようなレールの上を歩き、同じような能力を身につけている。
なんでも平均以上にこなす万能・日本人。
”万能”と言えば聞こえはいいが、言い方を変えてしまえば
日本人はMAX値の低いオールラウンダー。結局どうがんばっても
どの分野でも他国に劣る。

日本人が他国から社会的に どう認識されているか知っているだろうか?
大半の国々の人たちは“生きるために働いている”。
日本人“働くために生きている”。

働くことにしか生きがいを感じなくなっている日本の多くの人は
どうがんばっても“生きるために必死に働いている人達”や
“生きること本来の大切さを見出している人達”には勝てないだろう。
今は世界指折りの先進国と称されていて曖昧になっている
部分が多いと思う。今後、他の国々が今のモチベーションのまま
日本のような経済力を持ち始めたなら日本は今の地位も権力失うだろう。
(今であっても権力はないか、、、)

日本“自殺率“だけでなく“挫折率”でも
世界上位に食い込むのを知っているだろうか?
なんでも“それなりに”こなせてしまうがゆえの落とし穴。
日本の教育方針に沿っていけばおのずと身に着く
知識や技術を自分にしかないものと過信してしまい、
最終的にその分野の天才・秀才を目の当たりにしたとき、
自分の皮相浅薄さに落胆しあきらめてしまう、
ということである。なぜあきらめてしまうか?
それは日本人の一般教養レベルや基礎知能指数がなまじ高い、
ということがあだとなり、自分と相手の実力差を明確に
割り出せてしまうということにある。

逆に大半のアメリカ人はあきらめない。それはなぜか。
教育方針、一般教養レベル、基礎知能指数が違うから?
たしかにこれらすべてが日本と違ってバラバラではあるが、
それだけではない。

ではなにか。

それは小さいころや思春期にかけて“深く”自分と対話する
機会が多いからである。
時間に追われることも 他人の目を
気にすることもなく納得いくまで 自分と深く接することができる。

ここが一番の違いだと思う。とことん考え抜き、
導き出した目標はもはや信念である。


日本人アメリカ人関係なく、何かを目指す過程では
必ずその分野の先駆者がいる。天才がいる。そして壁にぶつかる。
それを目の当たりにするたびに挫折するような
やわな契約を己と交わしてはいない。
頭の良し悪しや貧富の差も関係ない。
アメリカという国では誰もが深く考える権利があり、
環境が整っている。みな当たり前のように自分と向き合っている。

よくアメリカ人”楽観的”の代名詞のようにいわれがちだ。
たしかに楽観的な人が多く、それがゆえに成功している
例も多い。しかしアメリカ人の中にも悲観的な考えの人も 多い。
だからといってそれが悪いかというとそうでもない。
楽観的というのは何が起ころうが気にせずやるということではない。
楽観的な人であっても友人が死んだり愛する人と別れたりすれば、
悲観的な人以上に悲しむし、傷つけられれば烈火のごとく怒る。
逆に悲観的な人であっても楽観的な人以上に前向きに
がんばり底力を見せることもある。結局“楽観・悲観”の根底まで
突き詰めるとどちらも兼ね備えているということである。
両方を持ち合わせてこそ”人間”なんじゃないだろうか。

日本人は基本的に この“ポジティブさ”“ネガティブさ”を履き違えている。
“ポジティブ”“ネガティブ”の形ばかりに囚われ、
自分でも融通の聞かない考えしかできなくなるのだ。
それに輪をかけ日本人は“恥”に対して以上に敏感で
あるがゆえ、どんな状況でもポジティブを装い、
ネガティブを装わざるを得なくなるのだ。

、、、、話を最初に戻すが、
“深く考える”という行為は人間の本来のありかたである、 と言う事を書きたかった。

偉そうに日本人は、アメリカ人は、 などと言ったが、
自分もまたその日本人の中の一人。
しかしこれだけは声を大にして言わせてもらいたいが、
僕は幸い物事を深く考えられる時間がある環境で育つことができ、
それを最大限に行ってきた。今もまだ考えている真っ只中で、
本当の自分とは一体何なのかを探している。
そしてこれを恥ずかしいなどと思ったことは一度もない。

自分に正直に、そして人に誠実に。
これは学校の授業以外の部分を学んで来なかった人には到底わからないことなんだろう。
人として不可欠なこの感情を養う環境が極端に
少ないということが今の日本の機械的な教育・社会方針の中で
もっとも重要視すべき問題なのではないか。

僕はそう思う。