2009年4月25日土曜日

はじめに - その3 (ブログ立ち上げの経緯・自論)

さて、「はじめに」がとても長くなってしまいましたが、

これからこのブログではこれらの「真実」をテーマに記事を掲載していきたいと思います。
我々が培ってきた知識がいかにコントロールされているか、「歴史」がどれだけ歪曲されているのか。
そして歪曲に携わっている大きな組織や宗教彼らの終わりなき闘争
そしてそれの無意味さ。本当の目的から我々人類の目を欺くための陰謀について
僕らが調べ上げてきた事を僕ら独自の見解を交えつつ記していきたいと思います。

既にネット上ではこれらの事柄について多くの資料が溢れていますし、
僕ら以上に正確な数字や事実を述べているものがたくさんありますので、
ただ知りたいという方々はWikiなどで調べられたほうが得策かと思います。
ここではネットでは調べる事が困難なものや、本や資料からのみ得られる情報を主に引用し、
そして僕ら個人の意見を中心に掲載していきたいと思っています。

Peacefulhistoryさんと共同でブログを立ち上げた経緯を簡単に説明させていただきます。

彼とは僕の会社と彼の会社が同じオフィススペースを共有していたということで知り合いました。
面白い事に最初の半年ほどはお互いが共通したものを調べているという事を知らずにいましたが、
ある日、僕がユダヤ経済コントロールのことを口にしたことをきっかけに、
Peacefulhistoryさんからも滝のように自論があふれ出てきたのです。
それから頻繁に僕らは集まり、討論を繰り返す日々を送ってきました。
当初はほとんどが突拍子もないぶっ飛んだ自論ばかりを展開していた二人ですが、
調査を続け、知りうる真の情報量が増えるにつれ、それらの自論が徐々に洗礼され、
裏づけが可能なところまでなんとかたどり着きました。

これを期に、僕らの調査結果や自論を自分達以外に「真実」を追い求める人
「真実」すら知らない人たちと共有していこうと思い、ブログ立ち上げに至ったのです。

すでに僕とPeacefulhistoryさんの間でも「真実」「歴史」の追求方法が異なっています。
とても二人では結論にたどり着けないようなものばかり、というのが正直なところで、
様々な観点から意見や情報を交換できたらなと思っています。
僕に賛同するも、Peacefulhistoryさんに賛同するもよし。
どんなコメントでもウェルカムですのでどしどしPostしてください!

僕は幼少、キリスト教神道の家系に育ち、小学校までキリスト教の学校に通っていましたが、
自分を宗教人と思ったことは一度もなく、常に「宗教」のもつ統率性や、異常性に
疑問を感じ育ってきました。

その後僕は所謂、無神論者と呼ばれる部類に属しているのですが、
自分では一般に出回っている「神」を崇拝していないだけで、
自分の中で信じている確固たるモノはあり(みなさんそうですよね)、
必ずしも「無神論」というわけではないと思っています。

ならNew Age 思想なのか、と問われれば、そうでもありません。
僕は宗教New Age思想が提唱する「救い・希望」「終末・アポカリプス」などを信じていません。
理由は、人類の文明そのものが負の力で生まれていると思っているからです。

「救い・希望」がないから文明は続くのです。
「終末」が来る以前に、始めから「終わって」いるのです。

なぜか、

それは文明を築きあげた先駆者が腐っていたからです。
そして彼らの子孫が現在の支配者層たちです。

人々が平和や救いを望めば望むほど、その名の下にそれ以上の最悪を招きます。
今まで何億人が正義の名の下に死んだのでしょうか。
こんなシステムに仕立て上げたのは紛れもなく彼ら「支配者層」です。

彼らの提唱するかりそめの「救い」「希望」から目覚めない限り、
我々に本当の「救い」など訪れはしません。

僕は宗教であれNew Age思想であれ、それに科学ですらも、
盲信しているばかりでは「真実」は見えてこないと思っています。

なぜならこれらは彼らが作り上げた奴隷コントロールシステムでしかないからです。

僕はこのブログの冒頭に「相変わらず不安定な~」と最近世間で問題視されていることを
簡単に社交辞令的に記述しましたが、これは4000年前でも、2000年後にでも
使いまわせる文章です。

なぜか。それは人類は文明が始まって以来この問題を解決していないからです。
支配者層が君臨し続ける限り、人類の平定は考えられません。

まぁ、僕はこんな考えを持っているいたって普通の変人です。

これからよろしくお願いします^^

はじめに - その2 (歴史)

「教育」も彼らの情報戦略の一環です。

学問とは先人が残した知の遺産を後世に伝える手段であり、
いわば「情報の歴史」をぼくたちは受け取っているのです。

それらの情報は彼らにより操作され、何を開示して何をしないかはもちろんのこと、
彼らの目的に都合よく書き換えられています。

物理学など一見、「数字」という絶対的な根拠が背景にあると思われているものですら
操作されています。数字とは人間とその他のものが会話するために必要な言語であり、
設計図構築のために必要不可欠なものです。
しかし、1+1=2という概念は所詮人間が作り出した「ルール」でしかありません。
1足す1が2という決めごとがなければ何一つとして成り立たない不安定なものであり、
数字とはたちまち人間が理解しえぬものになってしまいます。

1+1=2というルール決めが今の科学社会を支え、そしてコントロールしています。
たとえ数字にこれ以外のルールや、意味があったとしても、
それらの情報が一般に開示されることはないでしょう。なぜなら、

物理や生物学の父・先駆者たちがすでに彼らの支配下にあったことや、

人類をこれまで通り従順な奴隷にしておくにはこのルール決めが彼らにとって
都合が良いからなのです。


「彼ら」は恐ろしいほど「数字」に執着しています。
それも科学的な観点からではなく、宗教がかった観点からです。

例を挙げるのであれば「911」「13」という数字

この「9」「11」「彼らは」全精力を注いでいます。

もはや説明不要の911事件
背後には様々な憶測が飛び交っています。
そして今やこの事件はアメリカの自作自演と大多数が認め始めています。

なぜ「911」なのか。9月12日じゃだめだったのか?
なぜ、911事件の911日後にスペイン・マドリードで再度事件が起きたのか。

「9」「11」とは一体何を意味するのか。
「10」を飛ばすことの真意とは?
5+8=「13」がもつ重要な意味とは?

「数字」「数字」であり「数字」ではない。

歴史学がもっとも操作されていると言っても過言ではないのでしょう。
歴史とは古代・近代関係なく、大抵は勝者が残していくものです。
それらは勝者が都合よく書き換え敗者の歴史を抹消していきます。
良識ある歴史家があくまで第三者の立場から「真実」を書き残す事もありますが、
それらのほとんどは勝者によって根絶されきたことでしょう。
敗者が残す歴史が必ずしも正しいとも言い切れません。時に敗者は「真実」を誇張し、
後世に彼ら民族の存在意義を残すための道具として使われ、空想を書き記すこともあります。

なので、歴史とはとてもあいまいなもので、「正史」と言うものは実際にはありません。
「真実の正史」を構築するには国際的な歴史サミットを行いその場で見直し、同意し、
間違いを改善するといったことをするに限ります。
しかし既存の「正史」の恩恵を受けている国々がそれらを投げ捨ててまで
わざわざ歴史の見直しをしようと考えることは100%ありません。

間違っているのを承知で嘘の歴史を一般教育として
国民に教えているということは危険極まりない。

マインドコントロール以外の何ものでもありません。

つづき

はじめに。

1.人は古代から超越した存在を神々、天使、悪魔として崇拝して生きてきた。
2.人間は、律法を作り、国家を築き、経済を作り、科学を発展させ、世界を作った。

ここ最近300年間、拝金主義によってこの真実が隠されてきた。
我々は後者がまるで前者とはまったく別のものから起こったことのように。
もしくは、超越した存在を忘れてしまったかのように教えられている。

自分にとって、ここに書く『真実』とは、この二つが人類の別々の時代の姿ではなかったこと。

しかし、この、今、瞬間は我々個人レベルでも、
メディアを介さないメディアを通し、『真実』に触れる時代になった。

教えられる歴史というものがツカサドル歴史の時代になった。

自分は人類の本当の歴史を追求したい。

ただそれだけのために。

全ては平和のために。

by peacefulhistory

はじめに - その1 (真実とは)

お初にお目にかかります!Avihです。

相変わらず不安定な経済情勢が続いていることに加え、呆れるほど混沌としている政界、
そしてウィルス・パニックや次々に起こる奇怪な事件が一般社会を震撼させている今日この頃。
そんな中みなさんはどうお過ごしでしょうか?

え?自分の事で手いっぱいで周りまで気にしていられない?
そうでしょうそうでしょう。それが普通です。
自分勝手な僕らが悪いんじゃない。

自分勝手でいないと生きていけないこの世界の仕組みがおかしいのです。

今世間を騒がせている多くの問題。
これらは自分の生活に直接影響を及ぼさない限り、現実味を帯びないものばかりです。
言ってみればテレビや文面の中から発信される情報で脳に広がる仮想世界であり、
小説や映画と変わらない。

ありがたい事に、これだけの情報社会になったお陰で昔のように隣人が死ぬまで
街に疫病が蔓延していることに気づかない、というような時代ではなくなりました。

今や事件の数分後には記事や動画がインターネット上に掲載できるというところまで
科学は発展し、飛脚や伝書鳩の時代からは考えられないほど迅速に情報をより多くの人が
知ることができるようになり、大事に備え対処できるようになりました。

すばらしい。情報ばんざい、、、と言いたいところですが、

情報が人類にもたらす結果は必ずしも良いものとは限りません。

上記でも述べましたが、
情報が溢れれば、同じように溢れている他の情報との区別がつかなくなる恐れがあります。
良識ある大人は現実とそうでないものを判別することは可能ですが、子供はどうでしょう。
現実で起きていることとゲームや映画で起きていることの区別が果たしてできるでしょうか?
ゲームやテレビで放送されているものは決して「ヒーローもの」だけではありません。
殺人鬼をフィーチャーしたものもあれば、戦争や性をモチーフにしたものも数多く存在します。
とくにゲームではこれらのことが現実以上に誇張されているだけに、
実際に起きている問題を軽視しかねない恐れもあります。
現実感覚を失った子供達は一体どうなるでしょうか?
それは今起こっている未成年の事件を見ればわかることでしょう。

支配者階級にとって情報戦略は「真実」や「事実」を隠す上でもっとも有効な手段と言えます。
本来「真実」を伝えるための情報提供のはずが皮肉な事に、
情報が溢れれば溢れるほど「真実」はぼやけ、最悪嘘の情報をインプットされてしまいます。

幾千もの「真実」がこの世界には存在し、人類はそれと共存しているのにも関わらず、
それらの「真実」のほとんどを知ることなく人は生きています。
そう「真実」とはいつの間にか目には見えない、耳では聞こえない
幽霊のようなものになってしまいました。

単純に情報を遮断することで「真実」を隠蔽してきた古代から、
情報を多く与える事で人々の判断能力を低下させ、疑心暗鬼へ陥らせる現代へ、
手法こそ転換したものの、
「真実」を隠蔽するという目的は今も継続されているのです。


つづき